コンディショニングセンター伊豆

055-973-6626
受付時間:AM10:00〜PM8:00

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当所について

当所について

 2006年2月に会社を退職し、高校時代だけでなく陸上のコーチとして大学の教員として三島と縁があり、大学で一番長い付き合いの同級生が三島で大学長距離部門のコーチをしていると聞き、友人の役に立てればと 2006年6月に開設しました。
 実際には
 ①古い神社仏閣(沖縄だと御嶽)がある(地盤の安定)
 ②キレイな水が流れている、湧いている(土地の清浄さ)
 ③流れが急でない川がある(道路も川・風水上の話)
 ④季節がはっきりとしている。
 と言う条件で当てはまっているところを探していました。

 そこで出てきたのが
 ✔︎月島〜門前仲町(最後の勤務地・深川八幡、成田山)
 ✔︎沖縄県宜野湾市普天間(基地返還で変革が出る土地・普天間宮)
 ✔︎沖縄県沖縄市泡瀬沖縄市泡瀬(縁の有る土地・泡瀬ビジュル)
 ✔︎沖縄県沖縄市中央周辺(一番好きな街・海邦国体でお世話になった町)
 ✔︎静岡県三島市(慣れ親しんだ土地・三嶋大社)
 ✔︎静岡県熱海市(慣れ親しんだ土地・伊豆山神社、來宮神社)
 最後の決め手としては同級生の手伝いをしたかったのと、相方に内地の四季を見せたかったというのがあったからでした。

 治療院として基本姿勢は、グローバルスポーツ医学研究所時代から慣れ親しんだ「リンパ系スポーツマッサージ」をベースとして、お腹の硬さと動作制限を利用した動作学的な鍼灸に加えて、研究室時代からの専門であったトレーニングやストレッチの指導もできる総合治療院として、アスリートだけでなく全ての人の体調や体質の改善のお手伝いをする場所を目指して開設しました。

施術所名の由来

鍼灸学校時代の恩師の鍼灸院「鍼灸漢功堂」から鍼灸だけではない複合施術所として「漢功堂大社前施術所」という名前に変えて引き継ぎました。
漢功堂の字
 「鍼灸漢功堂」は、「鍼灸」が最も発展した中国の「漢の時代」、その漢代の功績をたたえる意味があります。

 そして自分が学生アスリート時代、スポーツプログラムス社様の「コンディショニングセンター代々木」で、ケアとコンディショニングのお世話になりました。
 また、前勤務先のグローバルスポーツ医学研究所では、当時は基幹治療室の名称が「コンディショニングセンター」と言っていたので、言葉の響きとして、また自分の方針として「コンディショニングセンター」という名称がぴったりであったのに加え、略称として「C.C.I.」という言いやすさもあり、「コンディショニングセンター伊豆」としました。

どんな治療をするの?

色々な治療方法を学んできましたが、
■鍼 灸■
◆奇経治療(11円療法の元になる理論です)
◆積聚療法(お腹の硬いところを目安にする方法)
◆M-Test(疼痛動作から最適なツボを導き出す方法)
◆YNSA・山元式新頭鍼療法(頭皮にツボを投影して、頭鍼療法の中では1番浅く刺す方法。難病や麻痺、脳疾患に強い)
◆経筋治療(東洋的な筋膜療法)
◆トリガーポイント鍼(痛みの原因を誘発する筋肉を探り出してピンポイントで緩める)
◆筋膜療法ほか 
 ※スポーツ鍼灸なども込み。
■手技療法■
◆リンパマッサージ(リンパが滞るのは筋肉や筋膜や周辺組織が原因なので、表面だけではなく筋肉と筋膜を緩めながらマッサージする方法。日本のリンパマッサージの源流の流派)※リンパ系マッサージ、スポーツマッサージもほぼ同じです。
◆トリガーポイントマッサージ・筋膜剥がし(普通にマッサージをしっかりと施術すれば、別の技術は不要です)
◆整体・矯正(十字式の理論を基に、強烈は負荷をかけずに気功に似た手法を利用する)
■その他療法■
◆吸玉・カッピング(ツボ的に使用する場合と、筋肉や筋膜を主眼に使用する場合とがあります)
◆かっさ(ヘラを使用して皮膚を擦る方法)
◆11円療法

どんなことをやってきたか

大学研究室時代

 院生時代は運動生理学の分野として、血流量計や呼吸ガス分析機を担当。現在でいう「ティーチングアシスタント」として恩師の講義の補助をしていました。
 体操競技や新体操、クロスカントリースキーのナショナルチームの測定を担当して、運動生理学的な立場での分析サポート。
 その他、多くのトップ選手たちのフォローを行いました。
 また、国立教育研究所の教育関連のデーターベース作成にも協力。諸先輩方のおかげで、色々な経験をさせてもらえました。

教員時代

 はり師、きゅう師、あん摩マッサージ指圧師の免許と共に、日本大学の国際関係学部での講師という立場で教員生活がスタートしました。また同時に国立病院附属の看護学校2校の保健体育科の授業も受け持つことに。
 教員だけでなく、高校の運動部の指導を含めての臨床もスタート。通常のスポーツ障害だけでなく、女子学生の生理痛などの特有な症状の対応も相当数受け持ち、後の不妊症対応への礎になりました。また、学生時代の教員に頼まれて日本サイクルスポーツセンター内の温泉施設内の施術所でも臨床開始。
 大学の教員となるといろいろな仕事が舞い込んできて、数多くの講演や講習を頼まれたりもしました。今考えると、ある意味で一番多岐にわたる活躍をした時期だったと思います。
 そして、トップアスリート達の現場を見るために、スポーツマッサージやトレーナーとして一番有名な会社へ転職。

日本初と世界初を担当

 1990年代後半に入り、気軽にマッサージを受けられる「クイックマッサージ」という今までになかった分野の業態が発生し、関西圏から東京圏に広がり、その後大都市に拡大していったわけです。それがクイックマッサージの黎明期です。
 その後、東京駅のデパート内にクイックマッサージ店がテスト的に入り、そのデパートに正式に入ります。日本初の「商業施設内マッサージ店」がオープンしました。この辺りでもヨーカドーやサントムーン、ららぽーとなどの商業施設にリラクゼーションが入っていますが、そのきっかけとなったのが東京駅のデパートにマッサージが入ったことがすべてのスタートでした。
 私は新入社員として研修中ではありましたが教員経験をかわれて、急遽そのテナント店舗の2代目マネージャーとして着任。その後売上も向上して実績を認められ、2フロアへ拡張。全国の商業施設から視察が訪れ、日本の「リラクゼーション業界」はもちろんのこと「商業施設内マッサージ・リラクゼーション業界」を現場で引っ張ってきたわけです。
 ほとんどの商業施設内にリラクゼーション店やマッサージ店、接骨院が入っていますが、その礎は我々が必死にやってきたからこそです。
 また、「あったらいいな」とずっと言われていたのが「長距離移動中のマッサージ」。
 それが東北新幹線で実現し、世界初の「特急列車内マッサージ」のオープニングスタッフとして初日第3便の「東京―盛岡」に勤務しました。
 さすがに第1便ではなかったのでマスコミはいなかったのは残念でしたが、東北との外気温の差を車窓から感じることができました。

こんなことも

当時は柔道やレスリング、スピードスケートのオフィシャルトレーナーを請け負っている治療院(会社)でしたので、オリンピック選手など日本代表の練習や合宿へは日常。TV番組のケアサポートもありました。
 個人的にはプロスポーツ選手、アナウンサーや俳優、脚本家の方なども担当。そしてスポーツチームの帯同、合宿やキャンプへの派遣、有名アーティストのツアー帯同等々、華々しい現場をこなしてきました。
 TV番組制作の現場への出張やツアー帯同、合宿帯同はもちろんのこと、子供たちのスポーツからオリンピックの金メダリストまで対応可能なのは、これらの経験があるからこそです。
 さらに、自分自身がマスターズアスリートの為、高齢者のスポーツにも対応可能です。

 若いプロ選手に「普段は一般の方を治療しているんですよね?」と見下した言い方もされたりしますが、プロとはいえ選手としての私のレベル(どんな大会でもベスト8程度の決勝には残れる)以下で、その選手たちが生まれる以前から昔からオリンピックのメダリストたちをサポートしてきていますので、気にしていなかったりします。
 また、アスリートの外傷ではない使いすぎによる障害は、加齢によるものであったり、基礎力のない一般ランナーの障害や高齢者の障害ともよく似ているところもあります。

受付

※予定はトップページ「告知板」を参照。

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再来所者最終 19:00
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